町の日常のなかを休日の僕が散歩する。

 

昨日の夜の事。

同居人が洗濯物の僕の半袖Tシャツを畳んでくれているとき、ぼそりと言った。

「だいぶシャツ、ゆるゆるになってきたね~」。

いつにばれたか。

しかも彼女は「・・・ってきた」という表現を使った。洗濯物を畳むのは彼女がする割合が高いから、それはつまるところ、「すべてのシャツが」ということだ。

その通りである。

 

ぼくはもう一年前から新しいシャツを買ってなくて、今回の洗濯物の一枚にしたって一番最近に古着屋さんで買ったものだ。いま仮りにそいつを一人の”彼”として言うと、彼は、去年の鬱陶しい長さの梅雨と暴力的な熱波の夏、次にはボディたる繊維には辛い秋、そして十年に一度の寒波の吹くベランダを耐えた、それらもろともぼくたちは共に乗り越えてきていた。

ついでにタンスの中からぼくに無理やりに引っ張られてきた古参兵たちも含めて言うと、はっきり言って、彼らは字義通りくたくたになっていた。もっと正確には、字の形通りといえばいいのか。ちなみに古参兵たちも、もとはといえば古着屋さんで買ったものだから古参兵より格上である。プロ野球でいえば、引退後の球団専属コーチのポジションといったところか。

つまり、僕が全然服を買ってないということは、彼らを酷使しまくったということと同じである。

申し訳ないな、なんか。うすうす感じていたところで、彼女のつぶやきだった。

まことに正しくその通りである。

 

これはさすがになんとかしないとな、と思い立った。

 

今日の15時過ぎくらいからいつもの古着屋に出かけた。

今日は仕事が休みで、天気も過ごし易くて、なかなかなお出かけ日和だった。

こういう天気の良さと、よし行こうかなという気分とが重なることはめったに無い。

その古着屋さんは、僕の家から普通電車で数駅くらいのところにある。だいたい10キロくらいだろうか。神戸六甲道駅のすぐ近くだ。

その古着屋さんの品物はひとつひとつが硬貨で買える範囲のお手頃で、なおかつお洒落で、ジリ貧のぼくにとっては、ほんとうにありがたい。言い方がまずいかなと思うけど、全部“いい感じに”お洒落だ。ほんとうに。

それで結局、Tシャツを三枚ほど買った。どれも満足している。

お店を出て、腕時計を見やると、さて時間は17時すぎで、ここからどうしようかなぁと思った。

喉は乾いているけど、体力的に、まだ喫茶店に行くほどでもないなぁ、

と思って、適当にして頭もあまり働かせず帰りの駅方面に歩いていると、大きな国道で信号待ちになった。

信号を渡ったら駅だけど、そうかこれを東にずっと行けば自分の家にたどりつくな、と思った。

(一応神戸の地理のことを知らない方のために言うと、神戸は北が山で南が海である。国道や電車は東西に走っている。友達と遊びの集合場所を口約束するとき「改札出て海側に歩いて、・・・」なんて言えばだいたい通じる)

 

ほんならじゃあちょっと意味はないけど歩いてみよう。そう思った。

 

夕日にすらなっていない太陽がまだ出てる。暑いけど、今は17時やし歩いてたら涼しくなるやろうと思った。結果的にもそうなったからよかった。

なにげなしに国道沿いを東へ歩きはじめると、そういえば、みたいな感じで連想がはじまった。

高校時代の友達とつい最近会ったときの話で、そいつが「最近ここからここまで歩くねん。全然歩けるで」と言ってた。そいつが言ってた詳しい地理は忘れたけど、聞いてるときに僕は「ああ、それやったら大阪から神戸くらいの距離か(いうても西の大阪と東の神戸のことやけど)」と思った。いま自分が歩いているこの古着屋さん周辺から自分の家までは、その半分もない。全然歩ける。

友達は音楽を聴いて歩くと言ったけど、自分はいまそういう気分でもないから、このまま町なみを見て歩こうと思った。ふだんしないことをしてみたくなった。

六甲道から石屋川、御影、住吉、魚崎へと、どんどん歩く。

そしたらこれが思いのほか面白かった。

 

六甲道の路地に入ると、景色は大きなテナント・ビルディングと小さなカフェが混在していて、空を見上げるとなんか凸凹した感じがする。太陽の光もすごく入り組んでいて面白い。

ああ、なんか都会っぽい風景やなって思ってたら、夏っぽいカジュアルな仕事着の人たちが、目先の居酒屋の木目調のドアをひっぱって、入っていった。

時計を見たら18時くらいか。早めに仕事切り上げて今日は呑もうか、なんて言ってきたんちゃうやろな。このビルディングのどこかのオフィスで、そんな会話がなされているんかと思うと、なんか面白い。

彼ら彼女らが入店したあと、気になって僕もその居酒屋の前で立ちどまり、窓に貼ってある手作り感満載のメニュー表を見てみると、刺身の盛り合わせ、よく名前の分からんサラダ、ほかにもいろいろあった。確かに美味しそう。海鮮居酒屋さんなんだろう。

 

まだまだ歩く。

しかし、この平日の18時なんてのは店がどこも開きだす時間。

ラーメン、焼肉、寿司、居酒屋。朝から開いているチェーン店も加えれば、すごいにぎわいになる。ただ歩いているだけで誘惑の扉が一枚一枚パタパタと町の人の胸のなかで開いてくる。駅から降りてすぐのときにはそういうのに負けへんと帰るぞっ、って意気込んでいる人も、だんだん歩いているうちに、コンビニのホットスナックならええやろう、ということになりがち。そういうところに落ち着く気持ち、すごいよく分かる。ごちそうはいらんけど、その前に一瞬ガツンとはいきたいのよな。歩いていると何人もそういう人を見かけた。信号待ちのチャリのハンドルに肘ついて肉まんほおばる人。すたすた歩きながら何某チキンを食べにくそうにしている人。いろいろな姿見せてくれた。これから塾に向かう中学生や高校生も次ぎ次ぎ加勢していく。

駅前の路地を一旦抜けて国道沿いに歩く。

そうそう、すごいなぁと思ったのは、ガソリンスタンドの敷地内に宅配ピザ屋さんがあったこと。初めて見た。散髪屋さんとかコンビニがあるのはまだ見たことあったんやけど、ピザはなかったなぁ。給油中のガソリンにピザの香りとせわしないなぁと思った。でも待ち時間からしたらちょうどいいのかぁ。これから先ぼくは利用することは、まぁないかも。

歩道橋も多いなぁ。バス停も多い。

またバス停やと思って、なんとなしに待っている人の顔みたら、全員おばちゃんで、言い方悪いかもしれんけど全員すっぴんに見える。不思議やなと思ったら、バス停の目の前に、いや目の前にバス停がという方が正確かもしれへんけど、風呂屋さんがあった。場所は国道沿いの長屋みたいなところ。こんなところになんで温泉?と思って看板をよく見たら「酵素風呂」とある。珍しい。「酵素」と「風呂」が全然頭のなかでつながらへんけど、おそらく健康に良いのかもしれん。たしかにすっぴんのおばちゃんたちの顔はどこか清々しい。気持ちよさそうや。

御影まで来た。

御影は馴染み深いところ。学生だったときによく通った。国道から離れて、通学路だった駅の方へ歩く。つまり海側に足を向ける。駅の高架下を東に歩く。ひととおり歩いて、そこから抜けて、また国道沿いにもどるように歩く。阪神電車の線路と国道のあいだは横に引き伸ばしすぎた長方形みたいな区画になっている。その区画にはマンション・一軒家・アパートなどの住宅、それに学校・保育園、野球グランドがあって、けっこう人間味がある。公園で遊ぶ幼児や小学生たち、ベンチでよく分からん雑誌読んでいる高齢者。楽しげな声がする。

もちろん怒り狂った声だってある。

自動車一台通るのも苦労する住宅路地をくねくね歩いていると、目の前におじさん二人がいて、片方がなにやら声をはりあげている。「ふんっ、お前やから許すけどな! ぶつぶつ」。緊張感がただよう。もう片方はハンチング帽からつたうもみあげ辺りがほのかに赤く、どうやら少し酔っぱらっている感じだ。思いのほか怒ったおじさんの声に少し驚いたそのおじさんは、それでも意地はってにやにやし強がっているように見える。なにをそんな揉めてんのと思ったら、酔っぱらった方のおじさんが怒っているおじさんの履いている黒ストッキングを見て「そんな服、おかまや。おかま」といじめていた。怒っていたおじさんはさらに怒って「最近の若いもんは、まったく」と足をとめてじっと睨みつけた。強がりおじさんは「若いもんつったて、オレもう70や」と呼応する。いや、あんた70でそんなしょうもないこと言ってたんかと驚いた。もう変なからみしたんなよな、と僕もちょっと呆れた。二人の側を通り過ぎた後も、うしろから「70も50も同じや、若もんや」とまだ怒った声が路地のなかで反響した。

御影を過ぎ、ふたたび国道に戻り、住吉川に東西に架かる橋を渡る。

ここまでくると太陽も夕日になってきていた。いくつかの信号待ちで歩いてきた西の道を見たら、ビルディングの狭間の淡い水色に真っ赤な太陽がすっぽりと落ち着いていく。なんとなしに、にぎやかな街から離れて来たなと思った。こういうのって寂しいとはまたちょっと違う感覚というか、色の繊細さに影響されている感じがする。涼しくなってきた風が歩いて火照った身体に触れる。もうすぐで夜やなと思った。

この時間帯は住吉川の堤防を散歩してる人が多い。河川敷に座って川の流れに涼んでいる人もいる。白と黒のまだら模様のちっさい子犬のブルドッグを抱きかかえて散歩している人もいた。確かにこの時間帯は川辺といえど、今日の照り返しの熱のこもるアスファルトを直で散歩させるのは、やけどにもつながる。そういえば、そういう話は去年の今頃の夕方のテレビ・ニュースで初めて知った。そういう配慮も必要なんやなって驚いた記憶がある。

だいぶ歩いて疲れてきたけど、まだまだ国道沿いを東に歩く。

喉の渇きが限界で、僕も、本山あたりくらいのコンビニで水を買う。スタッフが大学生くらいの年齢で、自分もそのころコンビニでアルバイトしていたから懐かしいなと思った。がんばって。

さて、国道沿いは飽きて来て、海側に南下し、もういっぽん国道よりは幅の小さい御影鳴尾線を歩く。ここはよく知っている線やから、ほとんどきょろきょろすることもなくただただ無我夢中で歩く。

没頭して、気がついたら青木まで来ていた。

阪神青木から僕の家は近いけど、歩くのはもう十分かなと気が変わって電車に乗ることにする。

どうでもいいけど青木駅綺麗になったなぁ。関西弁で新品のことを「さら」というけど、それにしっくりくる色づかいやわ。もとは地上にあった線路と改札が高速道路のように空中に浮かぶ恰好になった。

切符を買うためにエスカレーターに乗ったら、前におばさん3人がトリオになっていた。階段差で、おばさんの手荷物「トミーズ」と書かれたパンの紙袋が目線の先に見えた。あんぱんで有名なやつやな、明日の朝のパンにするんやろか。おばさんのうちの一人が「電車乗るのなんか3年ぶりやわ」とつぶやいた。こうして他人の移動中の声を聞くと、ぼくたちってほんとうにどうでもいいこと話すよなって思った。

そう思いながら券売機に向かう。

切符を買って改札口に行くと、トリオのうちの一人がすでに改札を通り抜けたおばさん二人に、大きく手を、というか腕全体を振って挨拶をしている。

ここでお別れのようだった。

なんか微笑ましい光景やなと思ったら、さっきのおばさんのつぶやきも「3年ぶりに友達に会いに来た」ということなんかなとか、トミーズのパンにしても「お土産にして明日の朝楽しかった昨日のこと思い出すためやろか」とか色々想いの輪郭が浮かび上がって来て、ええやんと思った。もちろんぼくの勝手な推測やけどね。

プラットフォームはすっかり暗くなった夜のなか煌々としていて、少し遅めの退勤になってしまった人たちに混じり、ぼくも電車で家に帰った。歩き疲れたけど良い休日やった。