依頼。失敗したけど、吉が出た。

 

先日、関東にいる兄とそのパートナーと娘が神戸に遊びに来ていた。

急な来訪ということもあってこちら側も少しバタバタとしていたが、それも心の中だけの話で、とくにこれといった準備はしないままに前日の夜には普段通りにご飯を食べぐっすりと眠った。

その落ち着きが功を奏したのか、冷静に物事を考えられて、勢いで事を進めふだんは足を運ばないところまで行くことができた。

兄一家と一緒に神戸の街中をぶらつき、兄によれば「神戸のアイデンティティ」であるファミリアの、もろもろの雑貨や服を娘のために買った。自分はこどもがいないので、こういうところに来るのはめったにないし、貴重な体験だったと思う。

また、ここ数年会っていなかったおばあちゃんとも会うことができた。会うといっても老人ホームの玄関先に座り、iPadの画面ごしで会話する程度だったけれど。ぼくは老人ホームに入る=だいぶ体調が悪いと思い込んでいたのだが、いざ実際に話してみると、おばあちゃんは以前と同じようにはきはきと喋り、ぼくのこともたぶん覚えていてくれていて、びっくりした。兄一家の娘とも会話する姿に一同ほっこりした。

娘にも会えたしおばあちゃんにも会えたという奇跡のような重なりが起こった。

 

さて、この兄一家はうちへ来る前に京都にも遊び行ったらしく、そのお土産をもらった。

お土産のひとつである抹茶のラングドシャは、よくあるお菓子のちゃちな味じゃなくて、ちょうどいい甘さに抹茶そのものの香りがぶわぁと合わさり、とても美味しかった。あまりうまく表現できないけれど、これがすごい良かった。

お土産は実家のぼくらだけでなく、近隣に住むもう一人の兄と、山を二つか三つくらい超えたところに住む父親にも用意していたみたいだった。

それで、兄らは僕らとなんやかやしていた結果、

結局兄は神戸にいる間にこのお土産を二人に渡すことができないと言って、「頼んだ」と僕に任務を与えた。

兄から弟であるぼくへの依頼。こういうことはうちの短い家族ヒストリーではよくあることだ。風呂の掃除からアイスの買い出しに至るまでさまざまな依頼がある。それはもう小さいころから体験しているものだ。兄弟姉妹がいる人はよくある話ではないだろうか。

 

依頼を受けてから一週間後。

今日は依頼のひとつめ、父親にお土産を渡す日だった。

何日か前に父親に連絡してみると「じゃあ有馬温泉にでも浸かりに行くか」と返事が来た。ぼくは即答で「賛成!」と返した。

有馬温泉へはバスで行くことにした。

調べてみると、バスは50分くらいの所要時間で山のなかをぐるぐる走る。その景色が見られたら、移動中も退屈しないだろうなぁと思った。電車は有馬温泉行ではないけれど、同じ方面のところを乗ったことがあり、景色もそれなりに覚えている。だから想像もつくし、もういいかなと思った。なんとなく普段しないことをしてみたいという気分だった。

予想どおりバスは良かった。

ぼおうと森を眺めている合間に、尾根の曲線が入り組んだところ突如高校が出てきたり、気がつくと保養施設が現れたりして、発見が多かった。平日だったけれど、バスの乗客は観光客らしき身なりの、とくに登山する恰好の人たちが多かったと思う。あと学生の姿がはじめからとても多かった。町中から山間にある家に帰る人も、さらには山の上にある高校から村へ帰る人もいて、学生にとっては大切な通学バスであることが分かった。

ぼくは神戸といえど六甲山の南側(大阪湾に面している方)に住んでいるので、神戸の姿といえば山から町中そして海というはっきり分かりやすい地図を思い浮かべるのだけれど、こうしてバスに乗ると神戸はそれだけではなく山あいの地域もしっかりあることが感じられた。そんな当たり前のことだけれど、ぼくの家からは六甲山の一面しか見えないわけで、なかなか見えないところは想像しづらいものだと思った。

すごいなぁとバスのシートで物思いにふけっていたら、もうすぐ有馬温泉という景色になってきた。経路は数日前の大雨の影響でう回路を通ることになっていたが、有馬川の沿岸に自生する葦のような草が青々としていて、車窓に濃い水色と緑がどろどろと流れていく景色を偶然見ることができた。

まずはお土産を渡さなくちゃと手持ちのカバンをガサガサしていると、ここで、お土産を家のテーブルに置きっぱなしにしていたことが分かった。

すごい罪悪感が芽生えた。依頼そっちのけで温泉に浸かりに来ただけじゃないか、と。やってしまった。

あーあと思ってもバスは有馬温泉に到着した。

そして父親と会い、開口一番に謝った。そんなもんだよ、と許し(?)をもらった。

気持ちを温泉気分に入れ替えて、少し散歩することに。

歩いて気づいたのは、温泉地にしてはあまり硫黄のにおいはしなかったことだ。

泉源のあるところに来てもほとんど匂わない。↓

「金の湯」の泉源

不思議だなぁと思った。

自分は花粉症と慢性的な鼻炎に悩まされているのでほんとうは匂うのかもしれない。一緒に来ていた父親はそもそもにおいを感じづらい人で、二人揃ってにおいのことはよく分からなかった。

にしても、この泉源の様相はどこか古めかしい機械っぽさを感じさせて、良い。今にも力のこもるバルブをきりきりと回して水管を足にしてどしどし歩き出しそうな恰好で、六甲山のあちこちに温泉を沸かしに、ぼくたちを癒してくれそうな感じがする。しっかり働いてくれている泉源だ。

坂道にはお土産物屋や地域の名産店、さらにはカフェやアイスクリーム店などが雑多に軒を連ねていて、観光地の中心のような感じだった。

店の看板をちらりと横目に見ながら、どんどん坂の上へ歩いていき、少し森の小道みたいなところを抜けて、さらには地元住人のアパート群や巨大ホテルも抜けて、古くから(っていつやねんって父親に聞いたら「さあ。50年はあるやろうな」と言っていた)炭酸が湧く井戸に着いた。↓

炭酸が湧く井戸

さすがにこの井戸から直接飲むことはできないみたいで、この画角からは分かりづらいのだけれど、左手前に炭酸が出る水飲み場が設置されていた。

炭酸が出るってすごいわくわくするなと思って飲んでみると、なんてことない気の抜けた炭酸水だった。そうとは知らずに飲むと蛇口が腐ってるんちゃうかと思うほど、どこか金属を感じさせる味わいだった。でも、しっかり炭酸水なのはすごい。

ここですごく不思議だったのは、ぼくは地下水というとやはり無色透明の中身のペットボトルで売られているもの、あの水のことが思い起こされるんやけど、地下水なのに炭酸水というところが面白くて、どうやったら地下から炭酸が出るんやろうということだ。炭酸=しゅわしゅわの爽快感だから、そのイメージを地中深くに求めようとするとすごいムズムズするというか。地下でしゅわしゅわのイメージが出来上がってしまった。もちろんたぶん、そんな単純なことではないのだろうけど。

このあと、銀の湯と金の湯にしっかりと浸かり日々の疲れを癒した。

面白いなと思ったのは、有馬温泉の湯は和歌山白浜の温泉と同じく、フィリピン海プレートの若くてあっつい岩盤が南海トラフからユーラシアプレートへともぐりこみ、その熱で地中深くにある水やら海水(もあるのかな?)が有馬の地に湧き出ているということだ。なにやら、近畿地方は九州と比べて活火山が圧倒的に少ないにもかかわらず、なぜこんなにも熱いお湯が有馬に出ているのか、ということが研究されてきたみたい。それがプレートの質と動きに関係しているみたいだ。

確かに銀の湯も金の湯も熱かった。金の湯は44℃くらいだったんじゃないか。けっこう熱い。自分は熱い湯の方が好みなので嬉しかった。

話はそれるけど、今まで体験した熱いお湯は断トツ一位で青森県岩木山麓にある温泉だ。熱湯という言葉がぴったりで、(たいしてみんな違いはないことだと思うけど)僕の肌感覚で、金の湯で44℃ならば、岩木山のあの温泉は47℃以上はあったと思う。これは盛ってるとかじゃなくてほんとうにそうだった。早朝から岩木山に登りへとへとになって麓まで下山してきたなか、いざ温泉に入ろうとすると、足指を入れることすら困難だった。一緒に登山してきた友人は、加えて、温泉に足し水をするのはやめたほうがいいと言って、二人とも背中や胸が真っ赤になるほどのお湯をあびた。温度に慣れるということも全くなくて、ただただ茫然自失のまま丸い浴槽の縁に裸で座っていた。もはや下山してきた猿のような恰好だったなと、いま思い返してみるとアホな光景に思える。

で、今回の銀の湯も金の湯も、ちょうどいい湯加減で熱いけれど身体によさそうな感じがして、湯から上がったあとはとてもすっきりした。

そのあとは金の湯の目の前にある有馬玩具博物館に行って、ドイツの古いおもちゃやからくり仕掛けのおもちゃのぐるぐる回っているものを見たりして過ごした。父親と二人でおもちゃで遊んだりなんかして、面白かった。父親の頭には次は息子(兄のこと)の娘も連れてきてわあわあしようと思い浮かんでいたに違いない。そうぼくが直感しているところ、実際につぶやいていてまた面白かった。エントランスにあるおもちゃのお土産物も熱心に見ていた。

その後、なんやかんやして帰った。

ぼくの住む家から電車一駅とバス一本で有馬温泉に行けるということが分かった。

またあまりにも日常が疲れてきたら行きたいなと思った。

移動や温泉など身体を動かしたり休めたりと忙しかったけれど、良い休日だったと思う。

 

あっっ。そもそもの依頼であるお土産のことをまたすっかり忘れていた。

来週中には郵送しなければ。