こんばんは。
今は7月18日の夜です。
都城は梅雨が明けたようで、気持ちのいい夏の夜です。
と思っていたら、さっき外からバンバンッと発砲音が聞こえて、何事か、事件かと思い玄関を開けると、綺麗な花火がすぐそこの夜空に打ちあがっていました。
安心しました。
外はあいかわらず、気持ちのいい夏の夜です。
突然ですが、村上春樹さんの『蛍・納屋を焼く・その他の短編』という短編小説が好きです。
5つの短編が収められています。「蛍」「納屋を焼く」「踊る小人」「めくらやなぎと眠る女」「三つのドイツ幻想」です。
「めくらやなぎと眠る女」については今年7月下旬からアニメ映画が公開予定ですね。
さて、僕はそのなかでも「納屋を焼く」と「踊る小人」の2編が好きです。
「納屋を焼く」
「納屋を焼く」は何度も読み返したくなる短編で、実際に何度も読みました。
語り口は小説家である「僕」。それから広告モデルやパントマイムの勉強をしている「彼女」と、貿易の仕事をしているという「彼」が登場します。
「僕」は語り口だから例外だとしても、あとの二人の暮らしぶりがほとんど明らかにされていないところが、おもしろいなぁと思って、つい二人のことを考えるようになります。
「彼女」は収入を「何人かのボーイ・フレンドたちの好意で補わ」せている不安定な感じ。仕事も家族もよく分からない人物です。「彼」は「彼女」の恋人で、「いつもきちんとした身なりをして、丁寧な言葉づかい」をするハンサムさん。銀色のドイツ製のスポーツ・カーだって持っています。それなのに、必死になって働いている風でもない。ほんとうは貿易の仕事なんかしていないのでは、と読んでいて疑ってしまいます。
暮らしぶりが分からないのにおもしろいのって不思議ですよね。
一般的に、小説を読むさいには、登場人物の感情やその背景を“探しあてる”ことが大切だ、という風になりがちだと思います。でもそういう一種のゲームって、たまに疲れませんか。自分が何を考えているかなんて、すぐに分からないことが多いでしょう?
だから、暮らしぶりが分からなくてさっぱりしたところが、この本のおもしろいところです。
確かに小説の世界だけでなく、世の中には一体この人はどうやって生活しているんだろう、と気になる人たちがいます。たとえば、なぜ平日昼前のロイヤルホストで20代後半の身なりの良い男がゆっくりとコーヒーを飲んでいるんだろう、とか。別に飲んでたって僕は全然気にならないですけど、ふらっとその人の横を通り過ぎる時、その人から香水のいい匂いとかしちゃうと、この人はどういう人なんだろうって気になるんですよね。
そういういった素性がよく分からない人たちが物語の中で、怪しい遊びをし、へんてこな語り口をしていると、おもしろいなぁと感じます。
ところで、感想とは別に小説の筋の話をすれば、後半あたりで、タイトルにもあるとおり、「彼」は「納屋を焼く」遊びをします。
実際に「彼」が納屋を焼くシーンは出てこないんですけれど、「彼」は納屋を焼くんだと言います。
僕はここが気になります。
ほんとうは納屋を焼いていないんじゃないかと思ってくるんです。
なぜなら焼いてしまうと、前半シーンで出てくる「彼女」の「蜜柑むき」パントマイムの話が効いてこないからです。「彼」の「納屋を焼く」は、「彼女」の「蜜柑むき」パントマイムと同じなのではないかと思うのです。つまり、「彼女」はパントマイムという動作で実在しないものを実在するかのように表現し、「彼」は語ることでそれを表現してしまう。
おもしろいのは、その語りの力によって、主人公である「僕」が「納屋」が焼かれることを待っているという結末になることです。
時々僕は彼が僕に納屋を焼かせようとしているんじゃないかと思うことがあった。つまり納屋を焼くというイメージを僕の頭の中に送りこんでおいてから、自転車のタイヤの空気を入れるみたいにそれをどんどんふくらませていくわけだ。たしかに僕は時々、彼が焼くのをじっと待っているくらいなら、いっそのこと自分でマッチをすって焼いてしまった方が話が早いんじゃないかと思うこともあった。だってそれはただの古ぼけた納屋なのだから。(p.78)
実在しないものを実在するかのようにしてしまう、この語りの力は、村上春樹の語りのマジックなんだなぁと、また尊敬してしまうのでした。
おそるべし!
「踊る小人」
小人というと、どことなく明るい性格の持ち主で、口笛や踊りが上手く、それが見える人に何かしらの幸運をもたらす存在だと考えがちですよね。
この短編に出てくる小人もほんとうにそういう感じです。
レコードにあわせて頭を振り、汗をかき、爪先立ちをしてくるりと回る。
パチパチパチパチ。「君はほんとに踊りがうまいね」と語り口である「僕」は言う。
めでたし、めでたし。これで世の中うまくいく。
と、終わらないのがこの小説です。
小人は何やら革命に関与し、いまや軍隊に追われる身。革命と小人の関係はよく分からないけれど、「宮廷でよくない力を使った」と言われている。その話題は半ばタブー化してもいる。
こんな小人の設定がおもしろいですよね。小人に似つかわしくない不穏な空気です。
また、革命後の世界で「僕」は象工場で働いています。仕事にはまずまずのやりがいを感じているが、別工程で働いている新入りの若い女の子が気になる。
その子が欲しい。
じゃあどうやって手に入れるか――踊りの力で。
そこで僕は夢に出てきた小人と夢のなかで契約をします。
小人は「僕」の身体を使うことで夢の世界から脱出し、女の子がいる現実のダンスパーティーに参加する。そのあいだ「僕」は口をきいてはならない。
〈なつかしいねぇ〉と小人が僕の体の中で感きわまったように言った。〈踊りというのはこういうもんさ。群衆、酒、光、汗の匂い、女の子の化粧水の香り、なつかしいねぇ。(pp.115-116)
ダンスパーティーで「僕」は小人の踊りの力を使い、女の子をゲットする。
ダンスパーティー会場から離れ、「僕」は女の子とふらふらと草原まで散歩する。
欲しかった女の子と二人きりになる。
だけれども、そこには腐敗が・・・。
とまぁ、あらすじはこんな感じなのです。
イメージとは程遠い小人の姿や、象工場や革命といった要素がうまく物語の中で動いています。
とくに、引用したように小人の語りが、ねちっこくて、怪しくて、病的にかっこいいのが一番の魅力です。
僕はこの短編の方をアニメ化してほしいなぁと切望します。
いつか、誰かやってくれないかなぁ。
では。
ほなまた。