どう考えたらいいんでしょうか?

なにかの目標に進みだしたいとき、「どうせ死ぬのなら」とよく人は言う。

あれこれ人生のこれからを悩んでも仕方ない、どうせ死ぬのなら好きなことをしてしまいたい。

つまっていた心が動き出して、少し余白ができる気がしてくる。

解放感だってある。そのとき、事実として状況が変わっていなくとも。

でも、この解放は正しいんだろうかとモヤモヤする。

「どうせ死ぬのなら」、はまだ自分は死ぬ可能性にないことを暗に思っているんではないか。

―いや、そうじゃない。いつ死ぬか分からないからこそ、つまり明日にだって爆弾が落とされて死ぬ可能性もないわけではないし、交通事故でぽっくりいってしまうかもしれない。死ぬ可能性にあることは分かっている。そうだからこそ、“いま”好きなことをしていくんだ、と言う。

でも、そうだろうか。こうも言える。

“好きなこと”のたいていは起業だったり、世界旅行だったりして、実現するには多くの月日がかかる。心が動き出して好きなことをしていくことになっても、いざ段取りし始めると、「いつ死ぬか分からない」ことは起きてはならないことに変わる。とすれば、「どうせ死ぬのなら」という理由は成り立たない。そういう理由で始めた新しいことは、理由の側をつぶしていく。

しかし、こうも言う。

矛盾していようがいまいが、人生を充実させる言葉になるなら、それでいいじゃないか、ほっといてくれ。

そう言われたら、何も返せない。

 

 

 

コロナに罹りました

 

月曜日の晩のこと。

仕事を終えて家に帰り、シャワーを浴びてから、パートナーが作ったかぼちゃの煮付けと栗ご飯でカボス焼酎をぐびぐび飲んでいた。

私の方が少し夜が遅くなることもあり、そういうときにはご飯を作ってくれている。

ほんとに感謝しかない。

そういう気持ちで皿を洗っていると、すごーく身体が重くなってきているのに気がついた。

感謝のしすぎて後ろめたい気持ちになってしまったからというのでもなく、ほんとうにフィジカルな次元で重くなってきていた。

たとえば1歳児を一日中おんぶし続けたあとのような欠落感のある重みだった。

なにかがおかしい。

やっぱり今日の仕事はしんどかったもんなと思い返していた。

その後、洗濯物を干しているときにしんどくなって、ついに手が膝についた。

身体が信じられないくらい熱い。

意識がぼおーっとしてきて、立っていられなくなった。

 

翌朝、仕事を休んで病院で検査をしてもらうと、やっぱりコロナだった。

(翌朝までの夜が腹も痛いしズキズキ頭も痛いしで最悪だった)

 

というわけで、人生で初めてコロナに罹っています。

けっこうしんどいっすね、これ。

今はもう3日目で落ち着いてきているんですが、めったに風邪を引かない自分としては辛いです。

さぁ早く良くなってほしいです。

 

 

 

 

 

 

 

禁煙しています。

今日は8月9日ですね。

長崎に原爆が落とされた日です。

これからもずっと平和に生きていきたいですね。

 

さて、今年は一回もブログを更新していませんでした。

明けましておめでとうございます。

どうぞ今年もよろしくお願いします。

もう少しだけど…

 

 

近況は?

そうそう、2月28日から禁煙しています。

だいたい5か月くらい経ちました。

2月28日からにしたのは、なにかの記念日やイベントがあったからというわけじゃなく、たんに月の終わりから始めた方が禁煙歴を数えやすいと思ったからです。まあそれだけの理由です。

タバコは10年くらい吸ってきました。

私自身はヘビースモーカーでもなく、喫煙歴が長くもありません。

が、タバコが好きという気持ちは人より強いほうだったと思います。朝起きたら必ず一服しましたし、なにかと作業の始めた終わり、または作業の途中に一服をする習慣もありました。こういう習慣だけでなく、タバコにまつわるあれこれの文化も好きでした。

タバコと一緒にコーヒーを飲むとか、タバコを吸いながら長々と親しい人と話すとか、そういうセットみたいなことを好きでした。

でも、タバコをやめたこともあって、こういうセットの片方にもだんだんと興味がなくなってきた気がします。

今までセットという感じ方が深く身体に刻みこまれていたので、なかなかこれを切り離す感じ方をするのが難しいです。

いずれにしても、感じ方なんでしょうけど。

いろいろ関係ないことがらもひっつけて考えてきたなと、禁煙して思いました。

物事を切り離して、それ自体として考える訓練をしてきたいと思います。

 

じゃあ。お久しぶりでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

無題

こんにちは。

すっかり秋の気候になりましたね。

私はつい一週間前に風邪をひきました。季節の変わり目についていこうと体調が必死になっているみたいです。発熱や鼻水、だるさなどの症状はずいぶんよくなったのですが、いまもまだ粘っこい咳が出ます。無理はしたくないところですが、働かないと生きていけないので、ぼちぼち日常にすり合わせて生きています。

さて、体調がよろしくないのか、今朝すごい変な夢を見ました。私は全然夢を見ないタイプで、ドラマのカットのように寝たら朝が来るのがふつうなんです。でも今朝は違いました。

目覚めてみると、どこか見覚えのある旅館の寝室なんです。正確には旅館じゃなくて、市営団地に住んでいる友達の寝室だったかもしれません。どっちでもいいのですが、そこは自分がよく知っている場所で、それもとても気持ちの良い起き方をしたんです。咳も出なくて、おまけに布団も温かいし、ああ風邪も良くなったなぁと思いました。

カーテンから漏れる外の光はまだ夜の光でした。朝日はまだ出ていないみたいでした。丑三つ時を過ぎた間延びした空間でした。まったりとした空気というか。それで、まだ身体は起こさず、このまま温まろうと思いました。なので、しばらく目だけを覚まして天井をぼんやり見ていました。

すると、視界の下の方に何か黒い影のようなかたまりが見えたんです。それは小さくて厚みのあるかたまりで、ちょうど深夜の散歩道にひっそりと出くわす道祖神のようでした。気になって目線を下にやると、猿がいたんです。猿は寒そうにしてとても小さくなって座っていました。ただじっと座っていました。

とっさに私は猿を外に逃がさなければと考えました。どういうわけか分かりませんが、なかば義務的な気持ちでした。どうにかして猿を外に逃がしてやって、このまったりとした空間を守らなければならないと思いました。そこで身体を起こそうとすると、もう一匹、カーテンのすきまから猿がするりと出てきました。その猿は元気な性格のようで、寝室のあちこちを歩きまわり始めました。目に見えるいろんなモノを手に取り、眺め、手当たり次第あちこちに置き直しました。けっして元の場所に直すということはしないタイプの猿でした。

カーテンの向こうに猿が入ることのできる大きさの穴があるかもしれないと思って、カーテンをさっと開けてみました。でも、ただの曇りガラスの窓があるだけでした。それでぱっとふりかえってみると、猿はどこにもいなくなっていました。

それで安心してまた布団に戻ると、次は実家の猫が僕の身体の上に乗ってきました。もぞもぞと動き、寝方を整えてしまうと、ぐっすり眠ってしまいました。

なんか気分がよくなってまた眠りはじめてしばらくすると、

次は起床のアラームが鳴って、私にちゃんとした朝が来ました。

 

なんのオチも脈略もなく申し訳ないのですが。

猿が出てくる夢ってみなさん見たことありますか?

 

 

カスタードたい焼き、三つ。

こんにちは。

8月が終わりましたね。

蒸し暑い季節もピークを過ぎ、最近は早朝が涼しく感じるようになってきました。

そういえば、朝は少し太陽が出るのが遅くなっているようにも思えます。夕方もより短くなってきたでしょうか。まるで定点観測のように決まった時間に起き、寝ているので、そこらあたりは詳しくなってきたようです。午前6時10分と午後22時の世界に関しては僕はけっこう詳しく説明できると思います。

それは、ともかく。

はやく涼しくなってほしいものですね。

 

 

さて。本日の話題は・・・、と

気負って書くようなことがないので、今日はたい焼きの写真をアップします。

家の近くの国道沿いに立地しているたい焼き屋さんで購入しました。

カスタードが際まで入っている

国道を車で走るときにいつも、ここにたい焼きがあるなぁと思っていたので、今日は何気なしに寄ろうと思いました。

いや、そういえば、何気なしではなかったのを思い出しました。

というのも、仕事の帰り道がたまたま、違う部署のパートさんと同じで、このまま後ろからついて行くのも、なんかつきまとっているみたいで嫌やなと思って、避けてきたんでした。

そうしたら、たい焼き屋が前方にあるやんと思って、じゃあ(行く)、という流れでした。

あのパートさんのおかげでしたね。今度会ったら大きな声で挨拶でもしようと思います。

 

本題のたい焼き自体について話すと、カスタードを三つ買いました。

小豆を食べたかったんですけど、どうやら小豆あんも白あんも完売で、カスタードしか残っていませんでした。お昼過ぎに行くともう完売という人気っぷりのようです。

カスタードを三つ受けとって、車に戻り、さっそく一つ食べてみると、濃厚なカスタードの舌ざわりと、サクサクもちもちっとした生地の優しい甘みが、美味しかったです。一個で十分満足しました。

帰ってからパートナーにひとつあげました。

最近はこういう体験が小さな幸せというよりかは、一瞬一瞬の余すところのない喜びという風に感じます。

今度は小豆もシェアーしてみようと思います。

 

では、ほな!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きな短編。村上春樹著「納屋を焼く」「踊る小人」

 

こんばんは。

今は7月18日の夜です。

都城は梅雨が明けたようで、気持ちのいい夏の夜です。

と思っていたら、さっき外からバンバンッと発砲音が聞こえて、何事か、事件かと思い玄関を開けると、綺麗な花火がすぐそこの夜空に打ちあがっていました。

安心しました。

外はあいかわらず、気持ちのいい夏の夜です。

 

 

突然ですが、村上春樹さんの『蛍・納屋を焼く・その他の短編』という短編小説が好きです。

www.shinchosha.co.jp

5つの短編が収められています。「蛍」「納屋を焼く」「踊る小人」「めくらやなぎと眠る女」「三つのドイツ幻想」です。

「めくらやなぎと眠る女」については今年7月下旬からアニメ映画が公開予定ですね。

www.eurospace.co.jp

 

さて、僕はそのなかでも「納屋を焼く」と「踊る小人」の2編が好きです。

 

「納屋を焼く」

「納屋を焼く」は何度も読み返したくなる短編で、実際に何度も読みました。

語り口は小説家である「僕」。それから広告モデルやパントマイムの勉強をしている「彼女」と、貿易の仕事をしているという「彼」が登場します。

「僕」は語り口だから例外だとしても、あとの二人の暮らしぶりがほとんど明らかにされていないところが、おもしろいなぁと思って、つい二人のことを考えるようになります。

「彼女」は収入を「何人かのボーイ・フレンドたちの好意で補わ」せている不安定な感じ。仕事も家族もよく分からない人物です。「彼」は「彼女」の恋人で、「いつもきちんとした身なりをして、丁寧な言葉づかい」をするハンサムさん。銀色のドイツ製のスポーツ・カーだって持っています。それなのに、必死になって働いている風でもない。ほんとうは貿易の仕事なんかしていないのでは、と読んでいて疑ってしまいます。

暮らしぶりが分からないのにおもしろいのって不思議ですよね。

一般的に、小説を読むさいには、登場人物の感情やその背景を“探しあてる”ことが大切だ、という風になりがちだと思います。でもそういう一種のゲームって、たまに疲れませんか。自分が何を考えているかなんて、すぐに分からないことが多いでしょう?

だから、暮らしぶりが分からなくてさっぱりしたところが、この本のおもしろいところです。

確かに小説の世界だけでなく、世の中には一体この人はどうやって生活しているんだろう、と気になる人たちがいます。たとえば、なぜ平日昼前のロイヤルホストで20代後半の身なりの良い男がゆっくりとコーヒーを飲んでいるんだろう、とか。別に飲んでたって僕は全然気にならないですけど、ふらっとその人の横を通り過ぎる時、その人から香水のいい匂いとかしちゃうと、この人はどういう人なんだろうって気になるんですよね。

そういういった素性がよく分からない人たちが物語の中で、怪しい遊びをし、へんてこな語り口をしていると、おもしろいなぁと感じます。

ところで、感想とは別に小説の筋の話をすれば、後半あたりで、タイトルにもあるとおり、「彼」は「納屋を焼く」遊びをします。

実際に「彼」が納屋を焼くシーンは出てこないんですけれど、「彼」は納屋を焼くんだと言います。

僕はここが気になります。

ほんとうは納屋を焼いていないんじゃないかと思ってくるんです。

なぜなら焼いてしまうと、前半シーンで出てくる「彼女」の「蜜柑むき」パントマイムの話が効いてこないからです。「彼」の「納屋を焼く」は、「彼女」の「蜜柑むき」パントマイムと同じなのではないかと思うのです。つまり、「彼女」はパントマイムという動作で実在しないものを実在するかのように表現し、「彼」は語ることでそれを表現してしまう。

おもしろいのは、その語りの力によって、主人公である「僕」が「納屋」が焼かれることを待っているという結末になることです。

時々僕は彼が僕に納屋を焼かせようとしているんじゃないかと思うことがあった。つまり納屋を焼くというイメージを僕の頭の中に送りこんでおいてから、自転車のタイヤの空気を入れるみたいにそれをどんどんふくらませていくわけだ。たしかに僕は時々、彼が焼くのをじっと待っているくらいなら、いっそのこと自分でマッチをすって焼いてしまった方が話が早いんじゃないかと思うこともあった。だってそれはただの古ぼけた納屋なのだから。(p.78)

―――村上春樹(1987)「納屋をやく」『蛍・納屋を焼く・その他の短編』新潮文庫

実在しないものを実在するかのようにしてしまう、この語りの力は、村上春樹の語りのマジックなんだなぁと、また尊敬してしまうのでした。

おそるべし!

 

 

「踊る小人」

小人というと、どことなく明るい性格の持ち主で、口笛や踊りが上手く、それが見える人に何かしらの幸運をもたらす存在だと考えがちですよね。

この短編に出てくる小人もほんとうにそういう感じです。

レコードにあわせて頭を振り、汗をかき、爪先立ちをしてくるりと回る。

パチパチパチパチ。「君はほんとに踊りがうまいね」と語り口である「僕」は言う。

めでたし、めでたし。これで世の中うまくいく。

と、終わらないのがこの小説です。

小人は何やら革命に関与し、いまや軍隊に追われる身。革命と小人の関係はよく分からないけれど、「宮廷でよくない力を使った」と言われている。その話題は半ばタブー化してもいる。

こんな小人の設定がおもしろいですよね。小人に似つかわしくない不穏な空気です。

また、革命後の世界で「僕」は象工場で働いています。仕事にはまずまずのやりがいを感じているが、別工程で働いている新入りの若い女の子が気になる。

その子が欲しい。

じゃあどうやって手に入れるか――踊りの力で。

そこで僕は夢に出てきた小人と夢のなかで契約をします。

小人は「僕」の身体を使うことで夢の世界から脱出し、女の子がいる現実のダンスパーティーに参加する。そのあいだ「僕」は口をきいてはならない。

〈なつかしいねぇ〉と小人が僕の体の中で感きわまったように言った。〈踊りというのはこういうもんさ。群衆、酒、光、汗の匂い、女の子の化粧水の香り、なつかしいねぇ。(pp.115-116)

―――村上春樹(1987)「踊る小人」『蛍・納屋を焼く・その他の短編』新潮文庫

ダンスパーティーで「僕」は小人の踊りの力を使い、女の子をゲットする。

ダンスパーティー会場から離れ、「僕」は女の子とふらふらと草原まで散歩する。

欲しかった女の子と二人きりになる。

だけれども、そこには腐敗が・・・。

 

とまぁ、あらすじはこんな感じなのです。

イメージとは程遠い小人の姿や、象工場や革命といった要素がうまく物語の中で動いています。

とくに、引用したように小人の語りが、ねちっこくて、怪しくて、病的にかっこいいのが一番の魅力です。

僕はこの短編の方をアニメ化してほしいなぁと切望します。

いつか、誰かやってくれないかなぁ。

 

では。

ほなまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

滝と海

 

こんばんは。

梅雨の晴れ間が終わり、今日は朝から土砂降りでしたね。

やっと雨がきて、少しは涼しくなるかなと期待していましたが、

夕方の今、ちょうどいい気温です。

ラジオではユキ・ラインハートAORが始まりました。

グローヴァ―・ワシントン・Jr.のJust the Two of Usがかかっています。

 

 

さて、写真の続きです。

 

6月16日 関之尾の滝

迫力の水圧に大満足

最近、大手アウトドア・メーカーSnow Peakがキャンプ場を再開発した場所です。

親子連れやカップルの姿が多く見られて、併設しているショップやカフェは洗練された雰囲気になっていました。

昔を知っているわけではないけれど、観光地化されたなという感じがしました。

それにしても、この滝の水路から枝分かれするように別の水路をつくり、農業用のために新たな滝をつくったということです。下の写真です。すべて手作業だったそうで、驚くばかりです。こういう「昔の人は凄かった・・・」系の話は世の中によくあると思うんですが、それにしても滝をつくるとは、にわかに信じられないですよね。伝説ですね。

名前は男滝(女滝もあった)

 

7月7日 串間市高松海水浴場

高松海水浴場付近

高松海水浴場付近

今度の日曜日には海に行こうと思ってがんばった一週間。やっとの思いでこの青空と透き通る海に出会いました。

肝心のビーチの写真は撮り忘れましたが、車窓からの海は撮り残っていました。

 

どうでしょうか。

最高ですよね。この海に入ったんですよ。こんなに綺麗だと、余計なことを考えずに自慢できます。

ビーチは浅瀬で、しかも冷たさもプール並みでほどよかったです。

この日は穏やかな波が波打ち際にさらさらと打ちよっていて、そこに仰向けになりしばらく波と一体化していました。

 

あまりにも気持ちよかったので、なにかあるごとにそのときの音や光の具合を思いだすようになりました。

とくに寝る前にもう一度、イメージのなかの海につかっています。

もう一度夢のなかで行きたいなぁと思います。

 

ほなまた。

おやすみなさい。