好きな小説ってなんやろう。

久しぶりです。

もう前回の記事から2ヵ月も経ってしまいました。

お元気でしょうか。

 

書く素材はたくさんあると日々日々感じていたのですが、それでも毎度、とくだん書くべきことはないわと思って放置していました。

別に丹波に行った話なんて書かなくていいとか、これはプライベートな話すぎるからダメだなとか、あのビールは美味かったとかそれ誰が興味あんねんっ!とか。悪い逆説です。

書かない理由なら、あれもこれもといくらでも書けてしまうのです。そういうエネルギーがあること自体は良いことだとは思いましたけど。

何を書くべきかを考えるより、どうしたら自分自身おもしろがって書けるのかを考えた方がより書けるようになると思い始めました。

もしかしたら話題なんてそれほど重要なことじゃないのかもしれません。

 

面白く書けるものはやっぱり小説です。

でも今回は具体的な小説について書きたいというわけじゃないです。

むしろ自分が好きな小説ってどういうものなのかを知りたいという話です。

 

自分が好きな小説はだいたい自分もそこにいる感じがするものです。主人公に感情移入できるもの。わりと子どもっぽい理由です。

でも世の中にたくさんある小説がすべて完全に感情移入できるものばかりかというと、そうでもなさそうです。

いきなり話が逸れてしまっていますが、とりあげず書き進めたいと思います。

たとえばセックス・シーンがある小説。物語で実際に主人公がセックスしていたとしても、「ああこの人たちはするんだなぁ」と急に主人公と自分との違いについて気づかされるのでだいたいそのページはさらっと読み流します。

また、過度な暴力シーンがあるもの。主人公が誰かを殺すとか、そういうシーンです。「なんでこの人はこいつを殺すのか」と自分では実際にしそうにないことが起きたときに主人公との距離を感じてしまいます。自分が誰かを殺すことにイメージを持てないから相手と私という二つの存在が自覚されてしまうのです。

反対に、感情移入しやすいものはあるのだろうか。

たとえば車に乗っているシーンはものすごく心地が良いものとイメージします。高速道路、一般道の違いはあまりありません。高速道路だったら、それも昼の場合はたいてい助手席で眠っているシーンが浮かびます。タイヤが高速道路面を踏む時の圧迫音や閉ざされた車内の密閉感が僕の中で良いものとされています。そして、横目に流れる防音壁や誰かの音楽があります。視点は上から撮られているのではなく、乗っている車内の自分の視点です。さらにいえば、橋や展望台などの観光名所とかではなく、いつも、よくある都市の中の高速か、森の中がイメージされます。

高速道路の夜はどうだろう。基本的には昼と同じだと思う。視点も一緒。ただ当たり前だけど夜の景色です。前方の車のテールランプや数メートル間隔にある電燈(それも橙色)、またひっそりと冷たそうな防音壁向こう側の林があります。そしてなぜか夜だけサービス・エリアに立ち寄ることが定番になっています。

こう書くと僕にとって感情移入できるものとはつまるところ、ある風景なり音楽なり体感が自分にとって心地よいものかどうかにかかっていると言えそうです。

これについて僕はどう判断したらいいんでしょうか。

まずこのつながり方の肯定的な面について考えてみる。

まず小説を読んでいないとき、とくにハードな生活を過ごしているときに、それに耐えうる足がかりをつくることができる点に肯定的な意味があると思う。安全地帯としての読書、とも思える。何か辛いことがあれば逃げるようにそこに行くことができる。

一方、このつながりの否定的な側面について。

自分に好ましくない結果を生むだろうとあらすじや帯を見て事前に推測される小説は、読まないということになる。自分勝手に嫌いなものを遠ざける態度が養われ、それが本当は重要なことに気づかせてくれるものであるかもしれないのに、見過ごす可能性が出てくる。成長とよぶべきものが生まれないともいえそうです。

さらにいえば、心地よいか否かという点だけで感情移入できるかどうかを測っていいのでしょうか。今のところ、感情移入できる=心地よい、感情移入できない=心地よくないという図式で自分の好きな小説について語っています。自分の好きな小説はほんとうにその範囲で良いのかと思います。もっと別の軸があってもいいのではないかと思えてきました。

たとえば、同じ属性として共感するという軸がありえそうです。自分は今働いていて、物語の誰か(主人公でもいいし、サブキャラクターでもいいし、動物でもいい)も懸命に働いている。誰かの働き具体に励まされることだってありそうです。同じ境遇で似たような反応なりをしていたら、どうだろう、自分一人じゃないんだって思えそうです。

コンビニのアルバイトをしている主人公がいるとして、客に怒鳴られたり、会計金を投げられたり、同僚から仕事を押しつけられたり、まぁ色々理不尽なことをされているとしましょう。そういう人にはあるあるとして「実は自分も・・・」と切り出して主人公(などに)に対することができる。これは心地よい/悪いの軸ではなく、同じ属性から生まれる感情移入といえそうじゃないですか。

そういう話のような、好きな小説の判断軸があっていいんじゃないかと思えてきたんです。今のところそういう小説をぱっと出せてこれないという点が、自分のおこちゃまな側面です。そろそろ大人になるべきなのかもしれません。たぶん。知らんけど。

 

備忘録として思いついたままに文章を書きました。

また整理します。

それまでお元気で。ほなまた。