写真の回

 

年が明けてしばらくが経ちました。

そして、引越しました。

場所は宮崎です。

だいぶ遠くまで来ました。

慣れ親しんできた関西とは言葉も気候も違うところです。

 

今回は、これからしばらくは腰をすえて住むであろう宮崎の、色んな写真を載せようと思います。車であちこち周りました。

写真は、ブログ用にしようと思って撮ったわけじゃないです。

いいなと思った風景をあとで家に帰って見直そうと撮ったものばかりです。

全く自分で楽しむ用です。

そのつもりでした。

ただ、いくつかの写真をパートナーに見せたところ、

こんなところわざわざ撮る人はいない、やっぱりあんたは都会人や、と喝破されたので、そうか自分は都会人なのかと考えさせられました。言うなれば無意識のうちに都会人の視点で撮ってしまった写真。そういうところでしょうか。

僕はパートナーの言う「都会人」には懐疑的というか、もう少し中身のトーンを下げて言うと、然もなしではないかと思っています。

僕としては、「都会」や「田舎」といった概念は実態としてではなく一種のイメージとして成立していると思います。

僕の地元の神戸は「都会」ですが、自治体としての神戸市はとても広く、海側の三宮や神戸周辺は雑居ビルや飲食店が密集しているものの、六甲山を超えて北側には山林や田畑が拡がっている所もあります。つまり、自然溢れる地域=「田舎」と考えるなら、神戸市にも「田舎」はあるともいえます。逆に「都会」=雑居ビル群と飲食街というなら、ここ宮崎の都城一部地域は「都会」です(そうそう、僕は都城に引っ越したのです)。

僕がこっちに引っ越してきた当日、とあるカフェの店主に事情を打ち明けると、「こっちは『田舎』でしょう?なんで神戸の『都会』から来たの?」と訊かれました。店主の意図はそのあとの会話の展開、「仕事で?」「どういうった仕事なの?」といったもので、ただ身の上話をしてみたいという次元です。『田舎』や『都会』とは何かという議論ではありません。なので、こうして議論の具体例として使うのは、事実の切り取りにも似た罪悪感を感じるのですが。

それはそうとして、でも実は、このカフェは駅前にあり、その数メートル先には飲み屋街が密集しているのでした。宮崎の『都会』で話をしているのに、土地のイメージとしては『田舎』なのです。これこそが不思議です。

 

話がよたよた且たらたらと進んで、すみません。

つまりは、車であちこち周って写真を撮っていると、

レンズから風景を写しているようで、同時にその写真は、僕自身の「都会」や「田舎」の心象を光の反射のように写しているのではないか、と思った。そういうことです。

もしあなたが「都会人」でこういう風景を撮ってしまうとすると「あるある」と思うだろうし、反対に「田舎人」なら「何の変哲もねえぞ、これは」と思うかもしれません。

 

ともあれ、さっそくどうぞ!

 

金御岳から都城盆地

金御岳の南側。この山をいくつか超えた先は志布志市

山之口町熊野神社からの展望。

同じく熊野神社から。奥が霧島山。畑と都市のコントラストが都城っぽい。

熊野神社の急階段。並木は桜がメインで春になると綺麗になる。どうでもいいけど、一体何段あるのか数えながら上がると、116段だった。しかしパートナーは117段だったと言い真偽は不明。ぜひ登って数えてください。平面な田畑が拡がるなか急に丘が出てくるのが不思議で、魅力的な場所です。

田島かくれ念仏洞穴。石碑があります。

もっと近くで。

説明版もあります。

洞穴の入り口。中は高さ126㎝、直径220㎝とあるから2畳より少し大きいくらいか。大人4人入ればいっぱいになりそう。

硬貨のようなものが置いている(あるいは供えられている?)。

 

金御岳、熊野神社(山之口)、田島かくれ念仏。

都城の自然と歴史をもっと知りたくなる場所でした。